私たち日本人にとって馴染みの深い「大豆」。
お豆腐に醤油、お味噌や納豆など、大豆製品は日本人の食生活に欠かせませんよね。そして、大豆100%麺「九州まーめん」の大切な原料でもあります。そんな大豆が、どのように日本に広まり愛されるようになったのか、その歴史を一緒に見てみましょう!
紀元前から、薬として活躍していた!
大豆の原産地は諸説ありますが、一般的には中国が原産という説が主流です。中国で栽培されていた大豆が、東南アジアや日本へ伝わっていったと考えられています。
大豆について書かれた記録で最も古いものは、紀元前2800年頃に中国で書かれた医薬の書物『神農本草経』と言われています。その中に、「生大豆を薬として利用していた」という記述があるそうです。また、中国の歴代の皇帝が五穀豊穣の儀式で大豆の種をまいていた記録が残っています。
医薬品として使われていたり、儀式に使われていたりと、太古から大豆が特別な食物だったことが分かりますね。
仏教をきっかけに広がった、日本独自の大豆文化。
日本では縄文時代の中期にはすでに大豆の栽培が始まっていたことが出土品などから分かっています。当時の利用法は煮豆や炒り豆が主で、奈良時代になってやっと、味噌や醤油など大豆の加工方法が中国から伝わってきたそうです。まだこの頃は、大豆は希少なものでした。
日本全国で栽培されるようになったのは鎌倉時代。きっかけは「仏教」でした。
仏教には「殺生をしない」という教えがありました。民の模範となるべき僧侶たちはその教えを徹底しながら生活しており、厳しく肉食を断つ生活を送るようになりました。そこで肉や魚に変わるたんぱく源として活躍したのが大豆だったのです。
お豆腐、味噌、醤油、高野豆腐はもちろん、きな粉や湯葉、おからなど、日本料理に欠かせない大豆製品を今に至る形に作り上げたのは、この時代の僧侶たちでした。こうした文化が、精進料理や懐石料理の誕生へとつながっていきます。
また、大豆は戦国時代にも保存食や栄養食として重宝されました。戦いに出かける侍や農民たちの間で大豆製品が広がっていき、その流れから、江戸時代になるとさまざまな大豆加工品が大衆の食卓に登場するようになります。
日本の「食の歴史」は「大豆の歴史」と言っても差し支えないほど、深く関わりがあることが分かります。なんと『古事記』にも大豆の神話が書かれているそうです。古くから日本人にとって大豆は特別な存在だったのですね。
欧米では工業や飼料用として活躍。
欧米に大豆が伝わったのは17〜18世紀頃だと言われています。アジア諸国に比べると、大豆との出会いはわりと最近ですね。
交易のために中国を訪れたイギリス人船員によって大豆がアメリカへ持ち込まれたという話や、来日したペリー提督が日本の大豆を持ち帰った記録が残っています。
ヨーロッパでは日照や土壌などの栽培条件が合わなかったこともあって積極的に栽培はされませんでしたが、アメリカや南米では大豆の栽培がどんどん拡大し、大豆の輸出を大々的に行うまでになりました。今では世界の大豆生産量のほとんどをまかなうほどです。
そんな大豆大国となった北米・南米ですが、アジアと大きく違ったところは、大豆の使い道です。欧米での大豆は、食品というよりも、家畜の飼料や食用油脂の材料という、工業的なイメージが強いものでした。
食品としての関心が高まったのは、1999年に米国食品医薬品局がその効用を認めてからだと言われています。これをきっかけに、健康志向の人々が大豆そのものの栄養に着目し始め、主にアメリカで大豆製品の消費が少しずつ増えていったのです。
こうして、大豆は「健康食材」として世界で認知されるようになっていきました。
欧米ではまだまだ浅い歴史ですが、アジアでは2000年以上も食べられてきた大豆。昔から日本の食を支え、さまざまな加工品や料理として愛されてきた大豆は、日本人にとってのソウルフードと言っても過言ではありません。その美味しさと栄養を、現代の私たちも上手に取り入れていきたいものですね。
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大豆の魅力を深堀り!
→「大豆ライフのススメ」記事一覧
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参考:
坂木利隆(2016)『からだにおいしい野菜の便利帳』高橋書店.
家森幸男(2005)『大豆は世界を救う』法研.
服部幸應+だいずデイズ大豆研究所(2017)『大豆の学校』OVJ.
天野隆志(2018)『医者がすすめる”大豆ファースト”』主婦の友社.